(明治6年7月2日)横浜の岸田銀次が用があって備前国児島郡郡田の浦を船で訪れ上陸するやいなや大勢が集まり、騒ぎたてている。何事かとみると、西の山際の小さな神社にのぼりを二三たて、クロンボウのようなものが沢山集まっている。棒、竹槍をもつ者もいて、銀次を殺さんばかりであった。銀次は慌てて用のあったところへ逃げ、隠れた。すると、このうしろにあった家の母親が小さき子をつれて山に逃げだし、年寄りが幼な子をつれて山の中へ逃げていき、あるいは船の中に隠れ、騒ぎは大変なものであった。
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どうしたことかと銀次がやっとわけを聞くと、「今年(明治6年)の春からのこの辺の流言であるが、天朝が唐人にだまされて唐人の言いなりとなり、日本人の種を絶やさんとし、男は18歳から20歳までを血を抜いて弱くし、女は15歳以上を外国にやってしまうのだ、邑久郡ではかなりの者がすでに血をとられてしまった」などと言い、その血のとりかた、様子をも言いふらしている。また「作州(美作)では夜中に役人が唐人を連れてきて家々の番付、名前をあらため、娘がいればそれを連れさらうのだ」などと馬鹿者がおもしろがって言っている。辺鄙の愚民はこれらの流言を信じ、上を疑う。また、もともと政府をうらんでいるところに、政府の布告は漢語まじりゆえわけもわからず、わるく解釈する。
また、こういう噂もあった。学校学校といって子どもを一箇所に集め目印の旗を立て、それを見た唐人が来て、集めた子を一度に絞め殺して生き血をとると言う。それを避けるために十日も前から子どもを学校にいかすのを止めてしまったとのこと。
さらに、かの合社のことを勘違いしたらしく、こう言う。「唐人は氏神のご威光を恐れて子どもを取りあげられない、そのために唐人の手先となった県庁の役人がご神体をとりにくるという、ある村ではすでに宮も壊されたし、この村の社も壊しにくるだろう」田の浦、大畑などの村々では十日余りも漁を止め、農業を止め、竹槍や棒を持って田の浦明神に集まり、酒を飲みつつ、今か今かと県の役人や唐人を待ちかまえ、見つけ次第殺すという。銀次が上陸したのは、危うく殺されるところであった。
註 岸田銀次=岸田吟香(天保4年(1833年)-明治38年(1905年))は、美作国久米北条郡垪和(はが)村(現岡山県久米郡旭町→美咲町)出身の東京日日記者。日本の新聞界の草分け的存在である。天朝は天皇の意。唐人は西洋人の意。上は政府の意。合社は明治初期に盛んに行われた神社合祀のこと