2009年06月18日

バルビツール酸系(Barbiturate:バルビツレート)は

バルビツール酸系(Barbiturate:バルビツレート)は鎮静剤、静脈麻酔薬、抗痙攣薬などとして中枢神経系抑制作用を持つ薬剤として広く用いられている。

構造は尿素と脂肪族ジカルボン酸とが結合した環状の化合物である。

バルビツール酸系は、その化学的構造の違いによって、作用発現時間や持続時間、催眠作用の強度が異なり、短時間型、中間型、長時間型などのように分類されている。 バルビツール酸系は、大量投与によって麻酔作用を有すため、予備的な鎮静の目的に投与されることもある。また、フェノバルビタールは、抗痙攣薬として汎用されている。

中枢神経系では神経伝達物質として、アミノ酸が多く分布している。主な神経作用性のアミノ酸としては興奮アミノ酸であるグルタミン酸、抑制アミノ酸であるγ-アミノ酪酸 (GABA) が有名である。グルタミン酸受容体(ナトリウム、カルシウムイオンチャネル)としてはイオンチャネル型受容体であるAMPA受容体、NMDA受容体、カイニン酸受容体がよく知られており、代謝型グルタミン酸受容体としてはmGluRが知られている。GABA受容体ではイオンチャネル型であるGABAA受容体(クロールイオンチャネル)とGタンパク共役型受容体であるGABAB受容体が知られている。
スノーボード
ベジタリアニズム
キャラクター
絵画
甲殻類
潮干狩り
相撲
就学前教育
月経
緩歩動物
エイズ、HIV感染
信越地方
切り絵
鳥類
新婚旅行
盆栽
夜景
御節料理
カーナビゲーション
里山


GABAA受容体にはアゴニストであるGABA結合部位の他にバルビツール酸系結合部位、ベンゾジアゼピン結合部位、糖質コルチコイド結合部位、ペニシリン結合部位、フロセミド結合部位、フルマゼニル結合部位が知られており、GABAとの反応性の調節を行っている。

バルビツレートが神経興奮性を低下させる機序としてはGABAA受容体機能の調節からきていると考えられている。バルビツール酸系はクロールイオンチャネルの開口時間を大幅に延長することによりGABAの薬理効果を増強することであると考えられている。また高濃度になるとGABAA受容体を直接活性化するようになる。また麻酔濃度ではAMPA受容体活性化を抑制したり、電位依存性ナトリウムイオンチャネル活性も低下させるといわれている。

適応 [編集]
ベンゾジアゼピン類が出現するまでは不眠や不安症状に対する治療薬としてよく用いられていた。ベンゾジアゼピンに比べて選択性が低く毒性が強いため2007年現在使用頻度は減少を続けている。麻酔導入に関しても別のGABAA受容体活性薬であるプロポフォールの普及によってとってかわられている。

2009年05月31日

東京日日新聞の記事より翻案

(明治6年7月2日)横浜の岸田銀次が用があって備前国児島郡郡田の浦を船で訪れ上陸するやいなや大勢が集まり、騒ぎたてている。何事かとみると、西の山際の小さな神社にのぼりを二三たて、クロンボウのようなものが沢山集まっている。棒、竹槍をもつ者もいて、銀次を殺さんばかりであった。銀次は慌てて用のあったところへ逃げ、隠れた。すると、このうしろにあった家の母親が小さき子をつれて山に逃げだし、年寄りが幼な子をつれて山の中へ逃げていき、あるいは船の中に隠れ、騒ぎは大変なものであった。
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どうしたことかと銀次がやっとわけを聞くと、「今年(明治6年)の春からのこの辺の流言であるが、天朝が唐人にだまされて唐人の言いなりとなり、日本人の種を絶やさんとし、男は18歳から20歳までを血を抜いて弱くし、女は15歳以上を外国にやってしまうのだ、邑久郡ではかなりの者がすでに血をとられてしまった」などと言い、その血のとりかた、様子をも言いふらしている。また「作州(美作)では夜中に役人が唐人を連れてきて家々の番付、名前をあらため、娘がいればそれを連れさらうのだ」などと馬鹿者がおもしろがって言っている。辺鄙の愚民はこれらの流言を信じ、上を疑う。また、もともと政府をうらんでいるところに、政府の布告は漢語まじりゆえわけもわからず、わるく解釈する。

また、こういう噂もあった。学校学校といって子どもを一箇所に集め目印の旗を立て、それを見た唐人が来て、集めた子を一度に絞め殺して生き血をとると言う。それを避けるために十日も前から子どもを学校にいかすのを止めてしまったとのこと。

さらに、かの合社のことを勘違いしたらしく、こう言う。「唐人は氏神のご威光を恐れて子どもを取りあげられない、そのために唐人の手先となった県庁の役人がご神体をとりにくるという、ある村ではすでに宮も壊されたし、この村の社も壊しにくるだろう」田の浦、大畑などの村々では十日余りも漁を止め、農業を止め、竹槍や棒を持って田の浦明神に集まり、酒を飲みつつ、今か今かと県の役人や唐人を待ちかまえ、見つけ次第殺すという。銀次が上陸したのは、危うく殺されるところであった。

註 岸田銀次=岸田吟香(天保4年(1833年)-明治38年(1905年))は、美作国久米北条郡垪和(はが)村(現岡山県久米郡旭町→美咲町)出身の東京日日記者。日本の新聞界の草分け的存在である。天朝は天皇の意。唐人は西洋人の意。上は政府の意。合社は明治初期に盛んに行われた神社合祀のこと

2009年04月28日

ソ連崩壊

ソ連崩壊(ソれんほうかい、露: Распад СССР)とは、1991年12月25日にソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、同時に各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦(ソ連)が解体され消滅した事件である。

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ソ連崩壊は、1922年の設立以来、アメリカ合衆国に匹敵する超大国として69年間続いたソビエト連邦が、独立国家共同体(CIS)に取って代わられ、その国家格を失ったということと、東側陣営の総本山として君臨し、前身のボリシェヴィキ時代を含めて1917年以来74年間続いたソ連共産党によるソ連型社会主義体制が崩壊したことにより、かつて世界を二分した冷戦の時代が名実共に終焉を迎えたという、二つの文脈において重要な出来事である。

2009年04月12日

秋葉山本宮秋葉神社

秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区春野町領家の赤石山脈の南端に位置する、標高866mの秋葉山の山頂付近にある神社。日本全国に存在する秋葉神社(神社本庁傘下だけで約800社)、秋葉大権現および秋葉寺の殆どについて、その事実上の起源となった神社である。

祭神と呼び名 [編集]
現在の祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。江戸時代以前は、三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)を祀(まつ)る秋葉社(あきはしゃ)と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺(あきはでら、しゅうようじ)とが同じ境内にある神仏混淆(しんふつこんこう)で、人々はこれらを事実上ひとつの神として秋葉大権現(あきはだいごんげん)や秋葉山(あきはさん)などと呼んだ。古くは霊雲院(りょううんいん)や岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)などの呼び名があったという。

歴史 [編集]
創建時期には諸説があり、701年(大宝元年)に行基が寺として開いたとも言われるが、社伝では最初に堂が建ったのが709年(和銅2年)とされている。「秋葉」の名の由来は、大同年間に時の嵯峨天皇から寺に賜った和歌の中に「秋葉の山に色つくて見え」とあったことから秋葉寺と呼ばれるようになった、と社伝に謳われる一方「行基が秋に開山したことによる」「焼畑に由来する」などの異説もある。

その後平安時代初期、信濃国戸隠(現在の長野県長野市、旧戸隠村)の出身で、越後国栃尾(現在の新潟県長岡市)の蔵王権現(飯綱山信仰に由来する)などで修行した三尺坊(さんしゃくぼう)という修験者が秋葉山に至り、これを本山としたと伝えられる。しかし、

三尺坊が活躍した時期(実際には鎌倉時代とも室町時代とも言われる)にも、出身地や足跡にも多くの異説がある
修験道は修験者が熊野、白山、戸隠、飯綱など各地の修験道場を行き来しながら発展しており、本山という概念は必ずしも無かった
江戸時代には秋葉寺以外にも、上述の蔵王権現や駿河国清水(現在の静岡県静岡市清水区、旧清水市)の秋葉山本坊峰本院などが「本山」を主張し、本末を争ったこれらの寺が寺社奉行の裁きを受けたとの記録も残されている
戦国時代より以前に成立した、三尺坊や秋葉大権現に関する史料が殆ど発見されていない
よって現状では、祭神または本尊であった三尺坊大権現の由来も「定かではない」と言う他はなく、今後の更なる史料の発掘および研究が待たれている。

戦国時代までは真言宗との関係が深かったが、徳川家康の隠密であった茂林光幡が戦乱で荒廃していた秋葉寺を曹洞宗の別当寺とし、以降徳川幕府による寺領の寄進など厚い庇護の下に、次第に発展を遂げてゆくこととなった。

徳川綱吉の治世の頃から、三尺坊大権現は神道、仏教および修験道が混淆(こんこう)した「火防(ひぶせ)の神」として日本全国で爆発的な信仰を集めるようになり、広く秋葉大権現という名が定着した。特に度重なる大火に見舞われた江戸には数多くの秋葉講が結成され、大勢の参詣者が秋葉大権現を目指すようになった。この頃山頂には本社と観音堂を中心に本坊・多宝塔など多くの建物が建ち並び、十七坊から三十六坊の修験や禰宜(ねぎ)家が配下にあったと伝えられる。参詣者による賑わいはお伊勢参りにも匹敵するものであったと言われ、各地から秋葉大権現に通じる道は秋葉路(あきはみち)や秋葉街道と呼ばれて、信仰の証や道標として多くの常夜灯が建てられた。また、全国各地に神仏混淆の分社として多くの秋葉大権現や秋葉社が設けられた。

1868年(明治元年)に明治政府によって神仏分離令が、1872年(明治5年)には修験宗廃止令が強行され、山内の修験派と僧派の対立も手伝って、三尺坊大権現は萬松山可睡斎(静岡県袋井市)に遷座、秋葉寺は寺領や宝物を没収され廃寺とされた。秋葉社も一旦は廃社とされたが、翌1873年(明治6年)、地元の人々の強い願いにより、祭神を火之迦具土大神とする秋葉神社として再建された。これに伴って各地に設けられた分社は分社としての地位を失い、それぞれの土地の事情で神仏分離令に従い、神社または寺として独立の道を歩むこととなった。

第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)、山頂(上社、かみしゃ)が山火事で山門を除く建物全てを焼失したため、秋葉神社は一時は廃社も同然となった。しかし、1986年(昭和61年)に現在の社殿が再建され、相前後して山頂に通じる車道の整備も成ったため、ここに名実共に秋葉山本宮秋葉神社として再興を果たした。

現在
山頂の上社と、麓(ろく)の気田川の畔にある下社(しもしゃ)とは、徒歩で登り1時間半から2時間、標高差約750mほどの古くからの参道が通じる。また山頂に至る車道は西側の麓を走る国道152号線から車で20分ほど登る、やや狭いが舗装された林道となっている。山頂からの眺望は東海一とも言われ、観光スポットとしても人気が高まっている。山頂の少し下にある、山火事で焼け残った山門や常夜灯の数々、および周辺に残る茶屋の跡などが江戸時代の繁栄のほどを偲ばせる。

現在でも火防の神様として全国各地から、消防や火力発電など火を取り扱う仕事の関係者が、お参りとお札を求めにやってくる。

山頂より、古くからある細い参道を徒歩で10分ほど下ると、秋葉山秋葉寺(あきはさんしゅうようじ、三尺坊(さんしゃくぼう)とも呼ばれる)がある。地元の人々の強い願いにより、1880年(明治13年)に本尊を観世音菩薩とする寺として再建されたものである。

キャン ふかがわ プルート てっさく はだいろ バーモ ナローボ シーケン ぱぱいあ リナリア デッド トッカータ あまぎ セレクション チャート マグマ クサノオ レンチ ブッキ カネノナル フェース プロップ くけい テク ぶうぶう ゴロ シーソー おはじき ナップ タイダイ ワンセ タイピン マスコット ロード ワイマ ニチニ コカトリ ダナキ フリーラ ホンコン ミング ノーマ タミフ リトル バッテ スクエア カアト イソ次世 ミー スター


2009年03月28日

サブカルチャー論で最大の問題

現在の日本におけるサブカルチャー論で最大の問題は言説の乖離である。本来のカルチュラル・スタディーズにおけるサブカルチャーは民族や階級に関連した政治的色彩を帯びたものであった。1980年代に一世を風靡した日本のサブカルチャーはそこから政治色を表面的に無視して、趣味の領域への限定を装ったものである。これは(実際はともかくとして)「一億総中流」「単一民族国家」という言説が大きな抵抗も無く通用したことを考えると致し方のないことにも思われる。その後、漫画、アニメ、ゲーム、フィギュアなどが統合されおたく文化=サブカルチャーという見方がされる様になる。

この様に、大別するとサブカルチャーという言葉には3つの用法を持っているが、これらの乖離があまり意識されることは無く、サブカルチャーという言説が一人歩きしている。無論、言説の回収と再統合がまったく試みられていない訳ではない。特にカルチュラル・スタディーズの専門家からは80年代サブカルチャーブームを、日本において独自進化を遂げたものとして、その意義を認めようとする動きが出ている[4]。しかし、それもストリート・カルチャーやテクノ、ヒップホップなど、カルチュラル・スタディーズにおけるサブカルチャー研究で既に経験済みであった要素までである。研究者サイドは未知の分野であるオタク文化の形成等に興味が無く、漫画、アニメをサブカルチャーから切り離しているようである[5]。

一方、80年代サブカルチャーの側はそもそもカルチュラル・スタディーズの概念などは眼中にないようである。もともと正規の学問の場を離れることを特徴の一つとしたニューアカデミズムの影響もあり、彼らのサブカルチャーは、起源を切り捨て独自進化を遂げたサブカルチャーの概念からメインカルチャーをも規定しており[6]、従来の社会学が持っていた用法とは異なる、別の意味をもった概念となっている。そこでは「サブカルチャーとメインカルチャー(≒ハイカルチャー)」という概念のみを利用し、政治的・民族的な要素を排除し、単純化した「少数者による趣味」として、積極的な意味を付与している。また彼らにとって、おたく文化とされる一群は「サブカルチャーの一部に過ぎない」か、「サブカルチャーですらない」か、である。

上記の2つの例とは異なり、おたく文化としてのサブカルチャーは単純である。おたく文化こそがサブカルチャーであり、そこには何の留保も存在しない。メインカルチャーという概念が持ち出されることもない。彼らにとってはカルチュラル・スタディーズなどはどうでもよいことであり、80年代サブカルチャーブームも眼中には無い。むしろクラブミュージックやストリートカルチャーなど一部の80年代サブカルチャーを敵視する場合すらある。

この様にサブカルチャーという語は大きく分けて三通りの用法を持っているが、厄介なのはいまだにそれぞれの用法が現役で使われているということである。そのため、同じサブカルチャーという言葉を用いているにもかかわらず、まったく別の事柄について論じている場合が多々見られる[7]。

事例 [編集]
アメリカでは1960年代において、ヒッピー文化などサブカルチャーの象徴的存在であったビートルズは、リアルタイムで直接受容されることは無かった。しかし、日本においてはグループサウンズなどに大きな影響を与え、直接的・間接的に当時の若者文化の形成に大きく関与した。このような意味でビートルズは日本においてもサブカルチャー的存在であったといえる。当時の若者たちが社会の中枢にある現在ではビートルズが教養の一つともなっており、ハイカルチャー(80年代サブカルチャーの言葉でいえばメインカルチャー)的な位置にあるといえる。ビートルズ研究の傍ら、電子メディアと音楽についての論文を多数発表するノースウェスタン大学のゲアリー・ケンダルがこの位置の典型である。

上記の例からも伺えるように、サブカルチャーの範囲は時代とともに変化するもので、即時的に厳密な定義は困難であるし、定義するだけではあまり意味がない。どのような文脈で使われているかを見る必要がある。
スノー モヘア サイトシス ネグロ ノンフ バルカ バチス ほうじゅん フラー レンズフ ラリア だるま ネコヤ ストリ ステッキ クスノキ サーベル シシウド スタジ レトリック ハイカラ マジッ ローレル シンデレ 交響曲 ブランク ウバイ リアル ブレス ゲイン ガイドヨニ ギアナユ パール ずきん テロップ パイレ ロコ リスボ ジャンク 冬中夏草 女神 ジャンプ亭 ケープ ノーダ オーバー フィアン イカの石 コロラド おみたま おもちゃか

サブカルチャーの位相 [編集]
サブカルチャー現象として注目されたのは、例えばレゲエである。ジャマイカの移民が広めた音楽であるが、欧米の白人文化に対する抵抗であり、対抗文化(カウンターカルチャー)として評価された。ただし、日本においてはレゲエも対抗文化として受け入れられるよりは目新しい音楽ジャンルの一つとして受容されている。また、スキンヘッドも一つのサブカルチャーといえるが、ネオナチなど反動的な政治主張と結びついている場合が多い。欧米のサブカルチャーがしばしば政治的あるいは人種的対立を背景にしており、一定の主張を持ったグループが担うものである点は、日本におけるサブカルチャーとは異なるようである。

近年では、教養そのものが揺らいでおり、従来ハイカルチャーを支えてきた知識人も大衆文化やオタク文化に注目しているのが現状である。趣味・嗜好の多様化・細分化や価値観の転倒により、従来サブカルチャーと見られていたものが一般に広く評価されるようになったり、ハイカルチャーの一部であったものがサブカルチャーとして台頭するという逆転現象も見られるようになっている。例えばかつては、歴史や古典文学について最低限の知識を持つことは当然で、そうした知識に精通することはハイカルチャーと考えられていた。しかし、近年では知らないことを恥じるどころか、歴史や古典文学についてある程度の知識を得ることさえもオタク趣味(サブカルチャー)の一つとみなす傾向が指摘されている(とくに日本文学や日本史にこの傾向が強い)。このように、ハイカルチャーとサブカルチャーの境界、色分けは曖昧となってきている。

一般に、重厚長大主義の産業、マスカルチャーとは折り合いが悪い。つまり、個々の主観によって自立して成立する行動様式の理念として昇華した、「顔の見える文化」だといえる。とは言え匿名性との馴染みが良く「顔の見えない」側面も持っている。

産業社会が企業利益の効率化を優先させて大衆の均質化を潜在的に志向して、収益のため地球環境の強引な改変をも担ってきた史実を踏まえれば、サブカルチャーの原動力となっている「メインカルチャーへの不快感」は、個々の自立という第一義からさらに発展して、利潤追求の視点では隠蔽されてしまう環境問題の視点をも発露せしめる視点を持っている。1980年代の東京ロッカーズと呼ばれるライブハウス、自主制作をフィールドとした、音楽シーンにおいてはリザードの発表した『サカナ』という水俣病を題材とした楽曲が産業界より圧力を受けた。ロックの本来持っているメッセージ性や反権力の志向が、メジャーとはいえないムーブメントで生き続けていた構図である。チェルノブイリ事故の後に、パール兄弟は『タンポポの微笑』を発表、RCサクセションはLP『COVERS』の発売を東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)から拒否されるといったこともあった。環境問題とサブカルチャー性格との馴染みのよさを感じさせられる。

類語 [編集]
サブカルチャーは文脈によってはカウンターカルチャー(対抗文化)と同様の意味で使われる場合がある。カウンターカルチャーは伝統的・支配的な文化に対抗する文化という意味で、1960年代?1970年代にかけて、よく使われ、狭義にはヒッピー文化に代表されるものである。1990年代には、オルタナティブカルチャー(オルタ・カルチャー)という言葉も使われている。
若者文化と重なる部分もあるが、サブカルチャーは必ずしも若者だけが支持するとは限らないため、異なる視点から用いられる言葉といえる。
おたく文化とサブカルチャーが同一視される場合もあるが、両者の微妙な差異にこだわる向きもある(例:「ユリイカ」2005年8月増刊号 オタクvsサブカル!)
アンダーグラウンド(アングラ)は旧来の社会体制に対しての反発、階級闘争や批判精神を含んでいる語。現在のサブカルチャーとは意味合いを異にする。しかし日常では混同して使用されている。
日本の書店では、「サブカル本」と称するコーナーにアニメ、特撮、オカルト、性風俗など雑多なものが並べられている。

2009年03月13日

ケルン大聖堂

ケルン大聖堂(ケルンだいせいどう、独:Kölner Dom)は、ドイツのケルンにあるゴシック様式の大聖堂。正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂(Dom St. Peter und Maria。聖ペトロとマリア大聖堂の意)。ゴシック様式の建築物としては世界最大であり、現在はカトリック教会の管理下にある。

現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀のことであった。正方形の建物で、最も古い聖堂として知られていた。

2代目は818年に完成し、12世紀後半に東方三博士の聖遺物がおかれたことで多くの巡礼者を集め、ケルンの発展に貢献した。1248年の4月30日に火災により消失した。3代目は2代目が消失した年である1248年に建設がはじまった。しかし、16世紀に入って宗教改革を発端とする財政難から一度工事が途絶し、正面のファサードの塔がひとつしかない状態が続いた。建設が再開されるのは19世紀に入ってからだった。

ナポレオン戦争の影響によりドイツでナショナリズムが高揚する中、中世ドイツに自民族の伝統を探し求める動きが強まった。建築ではゴシック・リヴァイヴァルの潮流が強まり、建設途中であったケルン大聖堂に注目が集まったため、1842年に建設が再開され、もうひとつの塔の完成が急がれた。全てが完成したのは建設開始から600年以上が経過した1880年のことであり、高さが157mの大聖堂はアメリカのワシントン記念塔(高さ169m)が完成する1884年まで建築物としては世界一の高さを誇った。「皇帝の鐘」と称される鐘が南塔にとりつけられたが、第一次世界大戦の際に接収され、溶かされたのちに武器として用いられた。

大聖堂は第二次世界大戦時のケルン市に対する英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けた。内部は激しく破壊されたものの全体は崩れなかったため、1956年まで復旧工事が行われ、元の状態に復元された。この際に周囲の廃墟から再利用した粗悪なレンガで復旧された部分が残っていたが、1990年代に入り空襲前の外観に戻す作業が始まっている。また、修復の一環として破損したステンドグラスの一部はゲルハルト・リヒターによって近代的なモザイク風の市松模様の物に置き換わったのだが、これについては未だに賛否両論がある。
インパ バイオ せみよん センニ おいず ガポット ハムスター メシア キオス ラターシュ カム ヤール サニレレ ハブポート ダッグ ビリボ ヒロイン 草もち モーニング タイム ダイス ジントロン ラブラト パイナ 一番星 ローブプ ミング ブラッセリー ネットカー れっど サインペン トラウマ ルンバ ケナフ スローイン マネジ パプリカ タマスダレ クンシ ラッパー ソウル シャー グズベ プレゼン 元慶 インクリ オーバ バイア キャンデ レワィア

1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたものの、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機にさらされた。2004年には危機遺産に指定されたが、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市当局の懸命な努力により2006年を以って解除された。

2005年8月18日にはローマ教皇ベネディクト16世が自ら大聖堂を訪問している。

2009年02月24日

COMPILATION of FINAL FANTASY VII

ファイナルファンタジーシリーズは1作完結の原則があったが、2003年に『ファイナルファンタジーX』の続編『ファイナルファンタジーX-2』が発売されたことにより方針が転換され、本作の続編および外伝的作品が相次いで発表されている。これらの作品群は"COMPILATION of FINAL FANTASY VII"と総称される。外伝的作品にはよくあることではあるが、原作の設定と矛盾が多く、人気のある一部のキャラ以外は出番が極端に少ないなどの問題もあり、ファンに対する配慮が欠けていると批判する人もいる。なお、それぞれのアルファベットによるタイトルの頭文字を取ると、アドベントチルドレン(AC)、ビフォア クライシス(BC)、クライシス コア(CC)、ダージュ オブ ケルベロス(DC)となっており、タイトルの付け方に一定の法則を見出せる。

第一弾:ビフォア クライシス -ファイナルファンタジーVII-
本作の6年前から始まる物語を描いた作品。本作に登場する組織、タークスの過去を扱った携帯電話用アプリゲーム。
第二弾:ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン
本作の2年後の物語を描いた作品。テレビゲームではなく映像作品である。坂口博信を除く主要スタッフのほとんどが参加している。DVD-Video、UMD Videoで発売、限定BOX「ADVENT PIECES:LIMITED」には『ラストオーダー -ファイナルファンタジーVII-』が収録されたディスクと、『FFVII インターナショナル』(CEROレーティング12歳以上対象)を同梱。
第三弾:ダージュ オブ ケルベロス -ファイナルファンタジーVII-
本作の登場人物のひとり、ヴィンセントを主人公にした、本作の3年後の物語を描く作品。プレイステーション2用ゲーム。2006年1月26日発売。ガンアクションRPG。オンラインにも対応していたが、2006年9月29日にサービスは終了している。
第四弾:クライシス コア -ファイナルファンタジーVII-
本作の中心人物であるクラウドの親友、ザックスを主人公にした、本作より7年前の物語を描く作品。プレイステーション・ポータブル用ゲーム。アクションRPG。

リバース オブ コンピレーション
"COMPILATION of FINAL FANTASY VII"のモデルチェンジ版などを総称してこのようにいう。

ダージュ オブ ケルベロス ロスト エピソード -ファイナルファンタジーVII-
『DC FFVII』の外伝的作品。携帯電話用アプリゲームとして発表される。
EZWeb、ヤフーケータイ版 ビフォア クライシス -ファイナルファンタジーVII-
iモードでしかプレイできなかった『BC FFVII』の移植版。プレイヤーキャラクターが各キャリアごとに追加される。
ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン コンプリート
『FFVII AC』に、シーンの追加・変更を施した完全版。

[コンピュータゲーム業界に与えた影響
任天堂からSCEへ
1990年代中盤はコンピュータゲーム業界の転換期に当たると言われる。プレイステーションやセガサターンなどのいわゆる「次世代機」(この場合は現在でいう「第5世代ゲーム機」を指す)が登場し、メディアがロムカセットからCD-ROMへ移行したことにより、ゲームの表現方法も徐々に移り変わっていった。
キャラクターや背景画などのグラフィックはドット絵から3Dで表現されることが多くなった(しかし、完全に3Dに移行した訳ではなく、プレイステーション後期のソフトでもスーパーファミコンやそれ以前の世代(ファミリーコンピュータ、マイコン等)のようにグラフィックがドット絵のみのソフトもあった)。また、実写映像やアニメ、プリレンダムービーなどを駆使した演出も可能になった。
コンビニエンスストアでの販売
本作は「デジキューブ」によるゲームソフトの、コンビニエンスストアでの予約・販売という流通形態の確立にも多大な貢献を果たしている。それまで、『ファイナルファンタジー』の様な大作は予約・或いは発売日に並んで買うというスタイルが主流だったが、90年代のコンビニエンスストア流通(社会現象とまでは行かないものの、爆発的なまでに普及した(詳しくはコンビニエンスストアの項を参照)により)。尚、コンビニエンスストアでの予約購入特典として設定資料集などが収録された小冊子が50万人限定で付属する予定であったが、77万人へ拡大され、最終的には予約購入者全員サービスとなった。

前作『ファイナルファンタジーVI』では同『V』までにも部分的に現れていた機械文明のさらなる増大を見せる世界観であったが、『VI』の時点ではまだ西欧中世的な世界観をベースにしていた。しかし、本作ではさらに機械文明の割合が増大・発達した世界となっている。さらに「城」がワールドマップから完全に姿を消し、東洋的異文化の国(ウータイ)やネイティブアメリカン的なコミュニティ(コスモキャニオン)を加え、「RPG=ファンタジー=西欧中世的世界」のくびきを完全に脱した、ファイナルファンタジー独自の世界を構築することとなった。(以前に近未来または未来世界あるいは機械世界をモチーフとした作品は数多くあったが、「ファンタジー」という分野では異例といえる。ただし、この方向性の確立により、タイトルの「ファンタジー」分が希薄になったとの不満/批評がある。)また「国家」という概念が薄く、ウータイは国とはいっているものの、どちらかというと部族の感が色濃い。そのため城と同様、「国王」など国家元首の存在がない。

特に機械文明が発達している2つの都市がミッドガルとジュノンで、この2つはどちらも神羅(しんら)カンパニーの拠点となっている。この2つの他いくつかの地域には魔晄炉(まこうろ)が設置され、周辺の街におけるエネルギー源となっている。しかしながら、魔晄炉は人々の生活に潤いをもたらす一方、そのために地下深くのライフストリームに蓄積されているエネルギーを奪っているため、魔晄炉の周囲の土地は衰えており、特にミッドガルでは地上のスラム街のほとんどは草も生えていない。神羅のこの活動により星自体の命も削られているとして、神羅に反抗する組織も存在する。

街の内装装飾には漢字が数多く使われており、独特の雰囲気を感じさせる。ミッドガルの、頭上にそびえる巨大な機械都市とその下にあるスラムの日の差さない暗い光景の対比、様々な文化が混然として存在する状態に、『ブレードランナー』の影響が指摘されることもある。物語の見下ろし視点で描かれるマップの、建物の多くにはトイレや風呂が描かれ、街の人々はみな生活感に溢れる言動・行動を見せ、コミカルな描写も多い。

ライフストリームと魔晄エネルギー
本作の世界には、あらゆる生物が死によって星の中心に還るときに、持っていた知識やエネルギーが蓄えられ(このエネルギーを精神エネルギーと呼ぶ)、世界全体が栄え再び新しい命を生み出す源となっている、という死生観が存在する。なおこのような死生観はIXやXにも見られる(後述するが、この死生観の共通点はVIIとX系列のつながりの根拠ともされている)。この蓄えられた知識とエネルギーは常にあらゆる方向に流れており、この流れはライフストリームと呼ばれている。

神羅カンパニーは精神エネルギーを魔晄(まこう)と名付け、星の中心からこれを汲み取り、それを魔晄炉と呼ばれる施設で電力などとして都市に供給し人々の生活を豊かにしている。しかし神羅が魔晄と呼んでいる精神エネルギーの源はライフストリームであり、そこに蓄えられたエネルギーを横取りする形になるため魔晄炉を中心に土地がやせていくことになる。後述する「星命学」はこの点から神羅の活動を批判している。

マテリアと秘められた力
ゲーム上のアイテムとしてのマテリアの記述は上記を参照。

マテリアは魔晄(ライフストリーム)が凝縮され生み出された結晶であり、VIIではFFシリーズのキーアイテムであるクリスタルに相当される。マテリアには後述する古代種の知識が蓄積されているとされ、これを介すれば一般の人間でも様々な魔法や戦闘技術を使用する事ができる。自然界では天然のマテリアが存在するが、魔晄の豊富な土地でしか発見されず、またそのような土地が非常に少ないためこのマテリアが発見されるのは稀である。そのため一般に出回っているマテリアは魔晄炉の中などで人工的に生成されたものが殆どであり、神羅カンパニーはそれを重要な任務を任されるソルジャーやタークスなどに支給する他、兵器開発の一環としても大いに活用している(『CCFFVII』では一部のサブイベントでマテリアの製造方法が明確にされた)。

マテリアに秘められた知識や能力は多種多様で、攻撃や回復魔法、特殊な戦闘技術の付与や支援、中には強大な力を秘めた召喚獣を呼び出す物もあり、従来の兵器を遥かに超える力を持つ物が多数存在している。そのため、神羅は基本的にマテリアを戦闘用に使用している。中でも魔晄炉の中心で直接生成されるヒュージマテリアは通常のマテリアより巨大である分、何百倍ものエネルギーを有しており、魔晄キャノンなどの巨大兵器に用いられる。

これら一般的に知られるマテリアとは他に古代種に古くから伝わる白マテリアと黒マテリアのような星の運命を左右するほどの特殊な力を秘めたマテリアも複数存在する(『BCFFVII』のジルコニアエイドを召喚するための召喚マテリア、『DCFFVII』のオメガとカオスを制御する力を秘めたエンシェントマテリアなど)。

星命学とアバランチ
死によって生命が持っていた知識が星に蓄えられていき、それが生み出すエネルギーによって新たな命が生まれていくという考え方がコスモキャニオンで研究を続けている学者たちによって作り出された。これが星命学(せいめいがく)である。星命学においては死によって蓄えられた知識が生命の源であるとされ、結果としてこれを横取りする事になる神羅カンパニーの活動を批判する根拠にもなっている。

星命学に影響され神羅の活動を批判するようになった人たちの中から、徒党を組んで過激派テロ組織のような活動を行う者も現れた。一時は多数の組織が積極的に活動していたが、現在はアバランチ以外はなりを潜めている。

なお、本作に登場するアバランチは明確に環境テロリスト集団であり、数々の過激な手段をとっている。『BC FFVII』の時代に存在した反神羅組織『アバランチ』にあやかって、バレットが命名した物である。過去に存在した『アバランチ』の本拠地はコスモキャニオンであり、星命学の影響を受け神羅への攻撃を行っていた。

古代種とジェノバ
「古代種」(セトラ)とは本作の世界において、現生人類とは別種族と思われる、古くから「星」に住んでいた者達およびその血縁にあたる者である。外見において現生人類と何ら変わりなく、両種族間の混血児も存在する。古代種は、「星読み」と称する星そのものと対話する能力を持っており、地上のあらゆる所に移動しながら星の中心となるライフストリームを導き、星に生きるあらゆる命を栄えさせていた。また、古代種は「約束の地」と呼ばれる土地を目指すとされ、そこには至上の幸福が眠るとも言われているが、詳細については作中では言及されない。

2000年前にどこからか飛来してきた高等生命体が「ジェノバ」である。ジェノバがノルスポル(後のアイシクルエリア北部)に墜落した際、そこには巨大なクレーターができ、そこから大量のライフストリームが吹き出すという事態になった。古代種たちは吹き出すライフストリームを本来の流れである内部の流れに戻すためにノルスポルに集まったが、そこで後述するジェノバの「擬態能力」に騙され、ウイルスを渡されることによってその大多数がモンスターに変えられてしまった。しかし、わずかながらそれに騙されず生き残った古代種により、ジェノバは同地に封印された。
パッチ ジベタリ ダゴン ライト スタウト 天福 クロム サマリア リポータ 東海道 バック ストイシ メディシ バレンシ みずほ セラピー シビリテ チレン ノニオン いかほ フォルム なんごう ガロール スパン あの海 マフラ めむろ ナゲット マスカ ボール パート スノー ピーケ パーセル ドオド レインボー マガジン ギャグ チェアマン 海岸通り 千年の時 シャド 白うり ティクス バトラ コボル ユーカラ キンバリー デラウ しじゅう

ジェノバ自身は相手の記憶等を読みとりその中の人物に姿を変える「擬態能力」を持っており、墜落直後は集まった古代種たちの記憶から彼らの身内の姿に擬態して彼らに接近し、気を許した者をモンスターに変えていった。本編においても、各地で見られる「セフィロスの姿に擬態したジェノバによる行動」が、周囲の者達に「セフィロスによる行動」として認識されている描写が存在する。

また、ジェノバはその体をバラバラにされてもその破片を寄せ集めて再生しようとする再生能力(リユニオン)を持っており、それは作中ではセフィロス・コピーと呼ばれる者達がセフィロスの元へ向かおうとする行動となって現れる。

ジェノバ・プロジェクト
本作の時期より約30年前、神羅カンパニーの科学部門に当時在籍していたガスト・ファレミスによってジェノバが発掘された。ガストはジェノバが古代種であると誤認し、ジェノバ細胞を人間に埋め込み古代種の能力を持つ人間を人工的に作り出す計画を開始した。これを「ジェノバ・プロジェクト」という。神羅は、前述した「約束の地」を魔晄エネルギーが豊富な土地のことだと解釈しており、古代種の能力を用いてそれを探し出そうとしていたのである。ジェノバ・プロジェクトはニブルヘイムで行われ、発掘されたジェノバも北にあるニブル山魔晄炉に保管されていた。(『CC FFVII』では「プロジェクトG」と「プロジェクトS」の2種類の実験が存在しているとされている。)

ジェノバ・プロジェクトにはガストの他、後に科学部門の統括となる宝条と、ルクレツィアが(『CCFFVII』ではホランダーとジリアンも)参加しており、計画は宝条の子供を宿したルクレツィアの胎内にジェノバ細胞を移植する形で開始された。この子供がセフィロスである(CCではこれ以前にプロジェクトGによって生み出されたジェネシスとアンジールも存在するとされている)。しかし出産直後のルクレツィアの変貌により、ガストはジェノバが古代種であるとした仮説の誤りを認識し、神羅を去った。その後ガストは自ら独自の調査を行い、真に古代種の血を引くイファルナと出会い、彼女との間にエアリスをもうけている。ガストが去ったことによりプロジェクトの統括となった宝条はガストの捜索を行い、最終的にイファルナとその娘であるエアリスをガストから奪うことに成功している。

ソルジャーとセフィロスコピー
宝条の元で育てられた(先述したとおり遺伝的な父親は宝条であるが、セフィロス自身はそのことを知らずに育てられている)セフィロスは、成長に連れて高い戦闘能力を発揮していった。それに目を付けた神羅カンパニーは、セフィロスのように人工的にジェノバ細胞を埋め込むことにより、身体能力を向上させた強力な兵士を作り出すようになった。こうして作り出された兵士達が「ソルジャー」と呼ばれる者達である。タークスなどによって集められた者達がソルジャーとなったが、その過程で精神に変調をきたし脱落する者も多かった。この過程はある意味では、精神力を計る選抜の手段でもあった(クラウドはそのために落とされたらしい)。精神に変調を起こさずソルジャーとなった者は実力により3つのクラスに分けられていた。なお、選考の要素にはこの他に一般の筆記試験も存在する(作中ではジュノンの兵士が語っており、先述したパーフェクトガイドでも、ある机の上にソルジャー選抜の筆記試験の問題集が置いてあるという設定を知ることができる)。

5年前セフィロスがニブル魔晄炉を調査のため訪れた際、セフィロスはそこで自らの出生の秘密を知り、保管されていたジェノバの首を持って「約束の地」を目指そうとしたがそれをクラウドに阻止された。その後宝条はニブルヘイムで生き残った住人に対し、ソルジャーと同様の手法でジェノバ細胞を埋め込み、残りを神羅本社に運ぶことで、ジェノバ細胞を埋め込まれた者達が神羅本社に集まろうとするという形でジェノバのリユニオンを証明しようとした。こちらの形でジェノバ細胞を埋め込まれた者達を「セフィロス・コピー」と呼ぶ。セフィロス・コピーの実験対象はソルジャーのような強い精神力を持った者ではないため、自分に埋め込まれたジェノバを制御することができずジェノバに操られる形となる。なおセフィロス・コピーには実験体を識別するために入れ墨が施されているが、実験体にされた者の内特に精神が弱く完全に崩壊してしまったクラウドには入れ墨が入っていない(そのため、「セフィロス・コピーインコンプリート ナンバリングなし」となる)。なお、レッドXIII(ナナキ)はナンバー13であり、いつか自分が他のコピーのように変になってしまうのではないかと不安でたまらないが、実際にはセフィロス・コピーとは全く関係が無いようである(宝条自身も古代種を種として残す為の実験用雄素体としてナナキを選んだだけとも取れる発言をしている)。

ウェポン
ジェノバが墜落した際に古代種が絶滅寸前の状況に追い込まれたが、このときに星自身もジェノバを排除するためにウェポンと呼ばれる巨大な兵器を作り出していた。ウェポンは5種類存在し、各、「アルテマウェポン」「サファイヤウェポン」「ダイヤウェポン」「ルビーウェポン」「エメラルドウェポン」と言う名前がついている。(例外として『DCFFVII』では「オメガ」と「カオス」、『BCFFVII』では「ジェイドウェポン」と呼ばれるウェポンも存在する。)

ウェポンはきわめて高い戦闘能力を持った巨大モンスターである。古代種がジェノバの封印に成功したためウェポンは活動せず、ジェノバの復活に備えて休眠している。なお、ウェポンは星自身が作り出した自己防衛システムであり、人間の味方ではない。オリジナル版では3種類、インターナショナル版では5種類登場し、これらの内2体(両バージョンとも)は神羅カンパニーと交戦する。 プレイヤーはオリジナル版ではアルテマウェポンだけと交戦だったが、インターナショナル版では、「アルテマウェポン」をはじめ「ダイヤウェポン」「ルビーウェポン」「エメラルドウェポン」と、更に3体のウェポンと戦う事が可能になった。

地域
本作に登場する街や村は以下の通り。
ミッドガル (Midgar)
神羅カンパニーの本社がある都市。街の周囲にある8基の魔晄炉等により「魔晄都市」と呼ばれている。
カーム (Kalm)
ミッドガルから若干離れたところに位置する町。高い城壁に囲まれている。
チョコボファーム (Chocobo Farm)
カームの南東に位置するチョコボ牧場。グリンという老人と、孫のグリングリン・クリンで運営。メテオ後にはチョコボをここで育成できる。ファーム南側の湿地帯には大蛇の魔物ミドガルズオルムが生息しており、チョコボなしで湿地帯を渡るのは容易ではない。
コンドルフォート (Condor Fort)
ジュノンから少し離れたところにある丘。神羅にとっては丘の頂上に存在する魔晄炉でコンドルが卵を抱えているのが気に入らないらしい。
ジュノン (Junon)
昔は小さな漁村だったが現在は神羅カンパニーの支社が存在する大都市となっている。しかしミッドガル同様地上と上層で貧富の差が激しい。
コスタ・デル・ソル (Costa del Sol)
ジュノンと海を挟んだ向かいに存在するリゾート地。一角にはプレジデント神羅が使用していた別荘がある。
北コレル (North Corel)
炭坑時代の生き残りがひっそりと暮らす村。一角にはゴールドソーサーへのロープウェイ乗り場もある。
ゴールドソーサー (Gold Saucer)
神羅カンパニーが建設した遊園地。真下にあるコレルプリズンは昔のコレル村の跡に犯罪者たちが送られることでできたスラム街である。
ゴンガガ (Gongaga)
魔晄炉の爆発事故で寂れた村。ザックスの出身地。
コスモキャニオン (Cosmo Canyon)
星に関する様々な知識が集まる村。レッドXIIIの出身地。
ニブルヘイム (Nibelheim)
一見するとのどかな村だが北にある屋敷は物々しい雰囲気を漂わせている。クラウドとティファの故郷だが、過去に焼き尽くされた後再建された。北にあるニブル山の一角に魔晄炉がある。
ロケット村 (Rocket Town)
かつて神羅カンパニーが宇宙に関する研究を行っていた当時は基地としてにぎわっていた。宇宙開発計画が中止された後も、当時の技師たちがここで暮らしている。シドの出身地。
ウータイ (Wutai)
東洋的な雰囲気を漂わせる国。15年前神羅と戦争を起こして敗れている。五強聖と呼ばれる武人集団の長・ゴドーが治める。ユフィの出身地。
古代種の神殿 (Temple of the Ancients)
孤島に存在する神殿。メテオに関する秘密が眠っている。
ボーンビレッジ (Bone Village)
化石発掘が盛んな村。ギルを払えば観光客が発掘することも可能である。
忘らるる都 (Forgotten Capital)
かつての古代種たちの村の跡。元々海底にあったようである。
アイシクルロッジ (Icicle Lodge)
かつてジェノバが墜落した場所の近くにある酷寒の村。エアリスの出身地。
ミディール (Mideel)
南の島に存在する温泉地。通常深いところを流れるライフストリームが、ここの近くでは比較的浅めの所を流れているようだ。
北の大空洞 (Great Northern Cave)
アイシクルロッジから見て北にある巨大なクレーター。かつてジェノバが墜落してきた場所であり、ジェノバ墜落当時はノルスポルと呼ばれていた。

神羅カンパニー
先述したように、本作に登場する大企業神羅カンパニー(神羅電気動力株式会社、Shin-Ra Electric Power Company)の本社はミッドガルに存在する。今でこそ魔晄エネルギーにより栄えている神羅カンパニーだが、元々は一介の兵器会社神羅製作所に過ぎず、かつては宇宙へ行くためのロケットの開発も行っていた。 だが魔晄エネルギーの実用化に成功したのをきっかけにこの星全体に影響を持つような大企業にのし上がっていく。

神羅カンパニーには以下のような部署が存在する。
治安維持部門
反乱分子弾圧のためのソルジャー派遣など。特殊工作部隊タークスもここに所属しているが、事実上独立部隊として活動している。現在の統括はハイデッカー。
兵器開発部門
武器の開発を行う。現在の統括はスカーレット。
都市開発部門
ミッドガルなどの都市の整備と魔晄炉の建設。リーブが中心となっている。
科学部門
生物の研究など。現在の統括は宝条。
宇宙開発部門
ロケットや航空機の開発など。以前ほどの力はない。現在の統括はパルマー。
ソルジャー部門
『CCFFVII』の時代に存在していた部署。以前はソルジャーが所属していたが当時の統括だったラザードが神羅を去った事で治安維持部門と合併した。

2009年02月08日

ブルネイの歴史

ブルネイの歴史(ブルネイのれきし)では東南アジア島嶼部北部に位置する都市国家、ブルネイの歴史を扱う。
あっさぶ スロン カーリー デブー ナックス デブリ タング バケツ スメア マンドリル シュテム アーム リッド ピエロ 南瓜 プラス シャンピ スタン ピッツァ いゆふぇく ライブラリー タジア ダンガ モック タイム クシン モッズ トリック ピンマイク 黒太陽 スナンサ ザニア パロール セージラ オーセン モービル ニシキギ ガスケット スラック ストック ジャガー リベンジ デカップ スペア キドニー ヤソウェ 上海慕情 イニシ きほく モラルレ

まず、ブルネイの歴史を形成した要因について触れる。ブルネイの歴史は、東南アジア島嶼部という地理的な条件に強く依存している。その条件とは (1) 熱帯雨林、(2) 世界最大の多島海、(3) 大文明の交通路(隘路)、というものである。

(1) の条件は絶対的である。近代に到るまでブルネイを含む東南アジアでは、農業における土地生産性は温帯諸地域に比べ極端に低かった。というのも、熱帯雨林の土壌は栄養塩類の溶脱が激しいため農業には不向きであり、それよりも生産性の低い小規模農耕、たとえば山岳部の照葉樹林地帯における陸稲や小規模な棚田におけるジャポニカ種の水稲栽培、熱帯雨林ではあっても溶脱した栄養塩類が集積する低湿地におけるサゴヤシ栽培、生産性が低く何年も継続耕作すると地力消耗が起きてしまうが、短期的には森林土壌に森林バイオマスにトラップされた栄養塩類を注ぎ込むことができる焼き畑におけるイモ類栽培といったものが、農業の基盤となってきたからである。現代においては人口過剰な東南アジアという像が確立しているが、これは比較的最近になってから大河の河口デルタ地帯でインディカ種の水稲栽培を行う大規模な稲作地帯が開墾されてからの現象である。そのため食糧生産基盤が脆弱だった19世紀に至るまでは大陸部のデルタを含む東南アジアは、他地域と比べ人口過疎地域だったのである。一方、熱帯雨林は野生生物の多様性が極めて高く、熱帯特有の動植物、特に他の地域に例を見ない香辛料や薬用植物、高価な工芸用木材などといった付加価値が高い天然生物資源を産するため、より生物多様性の低い近接したふたつの高度文明地帯、すなわちインドと中国を交易対象とした天然資源の採取という形での資源開発は進み、交易を基盤とした王朝や文化が花開いた。

(2) は熱帯雨林という特性と相まって、面的に広がる一円的な領土を持たない国家群、人を寄せ付けない内陸部と切り離された沿岸同士で相互交流を欠いたまま、別個に文化、物質を交換するという地域社会のあり方を促進した。たとえば、ボルネオ島山岳部にはダヤク人と呼ばれる山岳少数民族が暮らしていたが、ブルネイの記録には18世紀に至るまでダヤク人が登場しない。沿岸部と山岳部が全く異なる文化圏に属しており、相互の交流に乏しいことが分かる。

(3) の条件が要因となって、他地域との交流が他のどの世界と比べても進んだ。古代から近現代に到るどの時代においても軽工業製品を自国で生産するよりも輸入した方が安かったほどである。いずれの特性もブルネイの歴史に対し、強い影響を与えた。 ブルネイと他の東南アジア島嶼部諸国との違いも3点にまとめられるだろう。(1) 貿易の結節点に位置していない、(2) 周囲に他の都市国家(港市国家)がなく、港市国家間の抗争の影響を受けていない、(3) 19世紀に至るまでヨーロッパ人の搾取の対象となる資源を生み出しえなかった、という特徴である。

沿岸貿易の結節点は島嶼部東南アジアに分類されるマレー半島とスマトラ島、さらに焦点を絞ればマラッカ海峡周辺となる。ブルネイはマラッカ海峡と中国との間に位置し、中継点とはなっていたが、産物の性質、規模から、結節点とはならなかった。特有の香辛料を大量に産するモルッカ諸島(マルク諸島)はボルネオ島自体をはさんで、ちょうど裏側の位置となるため、モルッカ諸島獲得の争いともほぼ無関係でありえた。

東南アジア島嶼部、特にマレー半島、スマトラでは、川が都市の基盤となった。ジャワにおいても古代における内陸部の国家をのぞけばやはり河川が都市国家の基盤である。これは、熱帯雨林においては河川だけが大人口を支える基盤となり得たからである。川のない沿岸部はマングローブ林が繁茂し、陸と海の境界さえはっきりしない不毛の地であった。内陸部に侵入しようとしても、河川交通以外の手段はなく、ヨーロッパ人による植民地化も沿岸を飛び石伝いに進み、全域が植民地化されるまで300年、実に第一次世界大戦直前にいたるまでの期間を必要とした。 ブルネイはブルネイ湾に注ぎ込むブルネイ川の河口に成立した国家だが、都市国家を生む条件が周囲に整っておらず、いわば孤立していた。

ボルネオ島(マレーシア領)における現代の狩猟 長い歴史時代に渡って、川こそが人々の生活を支える交通路、農地、狩猟の場であった3番目の特徴は、どのような農法を採ったとしてもブルネイ周辺ではヨーロッパ人の興味の対象となる商品作物を産しえなかったこと、特異な香料、鉱物資源が見つからなかったことを意味している。鉱業やプランテーション農園のために大量の外国人が導入された他の東南アジア島嶼部諸国では、マレーシアにおけるマレー人、インド人、中国人のように、宗主国の人種分断政策によって独立後も民族融和が進まず、深刻な国内対立が生まれている。このような問題もブルネイとは無関係であった。

以上から、島嶼部を含む東南アジア諸国のなかでも、ブルネイはもっとも安定し、平穏な時が流れた国であると要約できるだろう。ブルネイ王朝自らも、東南アジア、さらに世界において最も長く続いた王朝であると自国の歴史を規定している。少なくとも先住民族の文化・王国がいずれも滅んだ東南アジア大陸部はもちろん、戦争と侵略に応じて国の位置を変えていった他の東南アジア島嶼部諸国と比べ特徴のある歴史を持つとは言えるだろう。

ブルネイ史の結節点となったのは、16世紀におけるポルトガル・スペインとの関係、19世紀もおけるイギリス人のジェームス・ブルックとの交渉と戦闘、第二次世界大戦後のマレーシアとの関係である。いずれも、ブルネイの勢力圏・版図を絞り込む方向に働いたが、国自体の消滅は免れた。

以下では、ボルネオ島を中心とする東南アジア島嶼部の自然条件に触れたのち、紀元前2万年の過去から、現代に及ぶ、ブルネイと周辺地域の歴史を時代を追って紹介する。

東南アジア島嶼部の自然条件
東南アジア島嶼部は全域が熱帯に位置し、乾期が訪れる東部の一部地域を除けば、広大な熱帯雨林がどこまでも続いていた。熱帯雨林は生物の生産性自体は高いもののヒトの大集団の生存には適していない。山岳地帯と沿岸部を除けば、地表からはるか数十メートル上空の林冠というヒトの手の届かない位置でバイオマスが生産されているからである。 つまり、東南アジア島嶼部は、ジャワ島など一部を除いて農業には不向きである。

熱帯雨林
フタバガキ科の樹木 Dipterocarpus retusus の葉、花、実。ボルネオの低地熱帯雨林は世界で最も多様性に富む。植物相は1万5000種からなり、1haあたり240の種が見られ、特に優勢な種は見当たらない。唯一、フタバガキ科の樹木が東南アジアの熱帯雨林全般で優占しており、とくにボルネオ島で目立つ。樹冠を形成するのは24mから36m、最大65mに達するフタバガキ科の樹木であり、樹冠の80%を占める。最大直径2mにもなり、現在ではラワン材として輸出の対象となる。和名は二つの羽根が生えた実を付けることに由来する。実はテンカワン油の原料となるが結実が4年に一度であるため、山岳民族ダヤク人が利用していたものの、産業として確立しにくかった。熱帯雨林(熱帯多雨林)は、温帯林とはまったく異なる構造をもつ。一つの林が高さによって3層に分かれ、最上層はフタバガキを主とし、他にマメ科の植物が見られる。幹に枝がなく、先端部にのみ葉がみられることが特徴である。地上30mから70mに広がる。中間層は、クスノキ科、ブナ科などの樹木からなり、20mから30mの範囲を占める。互いの樹木の先端部、すなわち樹冠が接触し、互いに覆いかぶさっているため、地上からは上空が一切見通せない。下層部はトウダイグサ科、クワ科の樹木からなり、10m前後である。

現代のブルネイにおいてもブルネイ・ウルテンブロン国立公園に高さ80mに達する樹木の間を吊り橋で歩いて見学するキャノピーウェイが設置されている。

このような森林がボルネオ島全域、東南アジア島嶼部の大部分を覆っていた。日照がなく、常に湿度が100%近いため、ヒトの生存には向かない。さらに落葉や倒木などはすぐにシロアリを主体とした分解者によって消費されてしまうため、土壌には腐食質が蓄積しない。さらに熱と水の影響を受け、酸化アルミニウムと酸化鉄以外の構成分が速やかに溶脱してしまうために、土壌は非常にやせている。温帯林では生態系を支える栄養塩類のかなりの部分が土壌に保持されているが、熱帯雨林の森林生態系を支える栄養塩類は土壌にではなく速やかに樹木やその林冠部に発達した着生植物群落によって回収されてしまい、そのバイオマスとして保持されている。

従って、焼き畑などで農地を開いても、主たる栄養塩類保持装置たる森林バイオマスを破壊してしまうため、開墾地の土壌は速やかに消耗し、最大2年しか農地として利用できない。無理して営農を続けると妨害植生のチガヤ草原(アランアラン)となって不毛の土地になってしまうため、短期の営農を終えた後は速やかに放棄して自然の遷移に任せて森林の再生を待たなければならない。

湿地林
熱帯雨林は平地から標高1000m以上の産地に至るまで広く分布している。ところが低湿地に至ると、熱帯雨林が湿地林(スワンプ・フォレスト)に置き換わる。スワンプ・フォレストは樹高が低く、1層のみから形成されているため、日光も届く。しかしながら、過湿による酸欠などの腐植質の分解を妨げる条件によって、泥炭の形成が一様に進み、土壌が形成されない。このため、湿地林を切り開いたとしても、すぐに地表が沈みはじめ、沼のようになってしまう。たとえ盛り土をしても1年間で数mも沈下してしまう。

2009年01月23日

劇中に登場する全員が妖怪か

劇中に登場する全員が妖怪か、それに類する存在である。妖怪の本能はたとえ教師と言えども押さえ込むのが至難らしく、本能に負けて問題行動を起こす教師が後を絶たない。人間界の常識では重大な事件を引き起こしても、滅多なことでは免職にならず、停職程度で済むことが多いなど、教師と生徒と言えども油断が出来ないのが校風と言える。

猫目 静(ねこのめ しずか)
声 - 井上喜久子
陽海学園の教師で、月音と萌香、みぞれ(アニメでは胡夢も含む)のクラス担任。担当科目は現代国語で、新聞部の顧問も務めている。基本的に大らかで陽気な性格だがルーズな一面もあり、都合の悪いことは有耶無耶にしてしまう傾向がある。部活もほぼ放任状態。なお、正体は学校の規則で他の者には知られてはならない筈だが、猫耳やしっぽを丸出しにしていたり、魚が大好物であるなど、正体が化け猫であることを隠している様子は微塵も無い。ただ、生徒に指摘されると、引っ掻いて誤魔化している。アニメでは、月音のことで他の教師や理事長ともやりあうなど、お気楽な中にも生徒を大切に思っている一面を見せている。食欲旺盛で、学園祭では金魚すくいの金魚によだれをたらしたりもしている。趣味は釣りで、腕前はプロ級。おまけ4コマでは、読者からのQ&Aに答えている。その中でノーブラであることが発覚した。年齢は妖怪と人間では年の取り方が違うのか詳しくは不明だが、本編にチアガール姿で登場し、月音がツッコミで年齢を聞いたとき、17歳と答えている。購買の学生服やスクール水着を試着する悪ノリな一面もある。
石神 瞳(いしがみ ひとみ)
美しい物を愛し、同性である女のコに大人気だった教師。担当科目は美術。正体は生物を石にするというメデューサで、頭髪を蛇に変化させ、これを噛み付かせて石化させる毒を注入する。美術に対する指向は確かなもので萌香に絵の書き方を教えていたこともあるが、石化能力によって気に入った女子生徒を石像に変えてコレクションした。新聞部により悪事を暴露され教職を追われたため、新聞部と直接事件に関与して解決した月音と萌香に復讐心を抱く。月音の正体が人間であることに気付き、それを利用しようとする。
その後、二度に渡り、月音と萌香に復讐しに来る。公安委員会の幹部の九曜に月音の正体を教えて月音を亡き者にしようとしたり、陽海学園の学園祭に訪れていた妖怪達の正体をリリスの鏡で暴いたりした。
籠女 李々子(かごめ りりこ)
声 - 久川綾
教育熱心にしてセクシーな教師。担当科目は数学。実は教育熱心さが災いして、周りが見えなくなってしまうこともあるトラブルメーカー。原作では胡夢のクラスの担任である。普段よりフェロモンを振りまいていて、男子生徒の人気は高い。正体は魅惑を放つラミア。裏では気に入った男子生徒を「学力アップ」と称して自身の能力で知識を直接流し込む洗脳を行っていた。バンパイアとなった萌香に叩き呑めされて2週間の謹慎を受けた後は反省し、普通に授業を行っているが、アニメではその後も銀影にテスト補習として同じようなことをしているシーンが一瞬だけ見られたり、第2期第8話では蹴られないよう萌香を捕まえた上で、月音を洗脳しようと企んだりしている。
小壷 奥人(こつぼ おくと)
声 - 加瀬康之
担当科目は体育。一度目に付けた生徒は絶対に許さない。女性に対して手が早い。みぞれに好かれていたが、猥褻な行為をしようと目論んだ所を凍らされて以来、彼女に逆恨みを抱いていた。正体はクラーケン。バンパイア化した月音に倒され、全治2週間の怪我を負った。
アニメでは月音に突き放されて落ち込むみぞれに猥褻な行為を働こうとしたため(それゆえ第2期での再登場時には、みぞれが毛嫌いしていることを公言している)、返り討ちで凍らされて入院したが、その後は退院した。また、原作に比べて眉毛が若干細くなっている。第2期第2話での再登場時には改心しており、籠女と共に心愛の暴走ぷりを猫目に苦言している。
亜婦皿(あぷさら)
声 - 氷上恭子
アニメ第2期に登場。担当科目は家庭科。正体はアプサラス。元がインドの精霊ゆえ、カレーに対して異常なまでのこだわりを持っている。
御子神 典明(みこがみ てんめい)
陽海学園の創設者の一人にして理事長。人間と妖怪の良好な関係に基く共存を望んでいる模様。退魔師(エクソシスト)で、「三大冥王」と呼ばれる大妖怪の一人でもある。魔具「審判の十字架(ロザリオ)」を持ち、その力は強大。月音がグール化しかけた際には、彼に「魔封じの鍵」(ホーリーロック)を与え、封印を行った。常にフードを被っており、素顔は不明であるため、生徒達は好き勝手にその下を想像している。ちなみに、バスの運転士とは旧知の仲にあるらしい。
理事長(御子神 典明?)
モンブラ こまひ レイク モミジ プルライフ 月の海峡 しおじ コメン フォール ショートケー ティーホル メーカー オートメ わかた ビーフ イザヤ ロストル フリース エイグ ススキ ヒーロー チフス シーズ レード サルト マンパ サイトむい パクチー せりか ゲート ちこり メナム ション ストッキン オフス イソップ シュボド マップ ノンフ スツール ハイパー ドミノ タシケ コダチア プレス バウンス スーパー リコリス ハラム ウチク

声 - 佐藤正治
アニメ第1期の最終回の冒頭に登場。原作の御子神と同じようなフードを被っている。上記の御子神と同一人物かは不明だが、第11話で蛍糸が持っている超新聞部設立の承諾書には、「御子神 典明」と記載されていた。また、月音の運命を試すような意味深な発言もしていた。第1話で陽海学園の入学案内を落とした神父と非常に似ており、登場時は神父もフードで素顔が不明にされていた。

2009年01月16日

弥生時代(やよいじだい)


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弥生時代(やよいじだい)は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に後続し、古墳時代に先行する、およそ紀元前10世紀中頃から3世紀中頃までにあたる時代の名称である。

弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住することによって始まった(しかし、近年になって縄文末期に属する岡山県総社市の南溝手遺跡の土器片中からプラント・オパールが発見されたことにより、紀元前約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていることが判明し、また水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたことも判明しつつあり弥生時代のはじまりははっきりと定義できない状態である)。

「弥生」という名称は、1884年(明治17年)に東京府本郷向ヶ岡弥生町(現在の東京都文京区弥生)の貝塚で発見された土器が発見地に因み弥生式土器と呼ばれたことに由来する(なお、その後の都市化の進展などもあって正確な発見地は特定できなくなっている)。 当初は、弥生式土器の使われた時代ということで「弥生式時代」と呼ばれ、その後徐々に「式」を省略する呼称が一般的となった。なお余談だが、弥生時代の名称の起源となった、弥生町で出土した一群の土器は、現在の土器編年上では古墳時代前期に属するとの説が有力になりつつある。

概要
紀元前5世紀中頃に、大陸から北部九州へと水稲耕作技術を中心とした生活体系が伝わり、九州、四国、本州に広がった。 初期の水田は、福岡市博多区にある板付遺跡や、佐賀県唐津市の菜畑遺跡など、北部九州地域に集中して発見されている。 弥生時代のはじまりである。

近年になって水稲である温帯ジャポニカは縄文晩期には導入されていたことが判明しつつあり、さらに近年の放射性炭素年代測定により弥生時代の始まりが少なくとも紀元前10世紀まで遡る可能性が出てきている。

また、稲の伝来ルートについても従来は朝鮮ルートが有力視されていたが、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり畑作米の確認しか取れない点、極東アジアにおける温帯ジャポニカ種(水稲)/熱帯ジャポニカ種(陸稲)の遺伝分析において、朝鮮半島を含む中国東北部から当該遺伝子の存在が確認されないこと[1]などの複数の証左から、水稲は大陸からの直接伝来ルート(対馬暖流ルート・東南アジアから南方伝来ルート等)による伝来である学説が有力視されつつある(従来の説とは逆に水稲は日本から朝鮮半島へ伝わった可能性も考えられている)。

北部九州に現れた水田は、弥生時代の前3?2世紀には東北へと伝播し、青森県弘前市砂沢遺跡では小規模な水田跡が発見され、次いで紀元前2世紀?紀元1世紀には同県南津軽郡田舎館村垂柳遺跡からも広範囲に整然とした水田区画が見つかっている。中期には、中央高地の松本平、千曲川流域までひろがった。中部地方の高地にひろがるまでには200年という期間がかかった。その理由の一つに感光性のモミが日照時間の短い中部高地では育たないということがあげられる。 水稲農耕は、かなりな速さで日本列島を縦断し伝播波及したといえる。

水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。集落は、居住する場所と墓とがはっきりと区別するように作られ、居住域の周囲にはしばしば環濠が掘削された。 道具は、工具や耕起具、調理具などに石器を多く使ったが、次第に石器にかえて徐々に鉄器を使うようになった。青銅器は当初武器として、その後は祭祀具として用いられた。また、農具や食膳具などとして木器もしばしば用いられた。

弥生時代には農業、特に水稲農耕の採用によって穀物の備蓄が可能になったことから、余剰作物の生産と蓄積がすすみ、これが富に転化することにより、持てるものと持たざるもの、ひいては貧富の差や上下関係が生まれた。 また、水稲耕作技術の導入により、開墾や用水の管理などに大規模な労働力が必要とされるようになり、集団の大型化が進行した。大型化した集団同士の間には、富や耕作地、水利権などをめぐって戦いが発生したとされる。 このような争いを通じた集団の統合・上下関係の進展の結果、やがて各地に小さなクニが生まれ、1世紀中頃に「漢委奴國王の金印」が後漢から、3世紀中葉には邪馬台国の女王(卑弥呼)が魏に朝貢し、倭の王であることを意味する金印を授けられた。 なお、この頃以降の日本は、大陸からは倭と呼ばれた。

一方、南西諸島と樺太・北海道には水田が作られず、南西諸島では貝塚時代、ついでグスク時代、樺太・北海道では続縄文時代、ついで擦文時代(さつもん)が続いた(また、本州東北地方では、青森県垂柳遺跡のように弥生時代前期の水田の事例もあるものの、一般的には中期後半前後まで水稲農耕は完全に受容されたとはいえず、北海道に準じ続縄文文化が展開したとの見方もある)。 併合の記載があるまで、以後の記述は、九州・四国・本州を指す。南西諸島の歴史については、沖縄県の歴史他奄美諸島の歴史、先島諸島の歴史も参照のこと。

弥生時代後期・終末期の2、3世紀ごろは、やや冷涼な気候であった。 また、3世紀は海退期であり、海が退いていき沼や湖が干上がり、その底に溜まっていた粘土の上に河が運んできた砂が溜まっていく時期であった。